ハッキリ言って日本は『衆愚政治』だと思います。
皆さんはどう思いますか?
via sugibeya.bloggers-network283.com
こういうネタは一筋縄ではいきませんよ。書きはじめたら、たぶん本1冊分くらいの議論はしなければ、言いたいことはきちんと伝わらないだろうと思います。いえ、そんなふうに書き進めて、以前のダメなシステム、マシなシステム ─ なぜ原発が問題なのか、そして次へとでやったみたいに電子書籍形式でアップロードしておくという手はあるんですよ。けど、そこまでやるだけの十分な準備もできてませんし、エネルギーもありません。ま、一生かかっても準備できないだろうというのはさておいて。
スルーしてしまってもいいかなと思ったんですが、納得のいく形ではなくても、入り口だけでも考えは書いておくべきかなとも思いました。なるべく手短にいきましょう。
まず、前提として、現在の私の「民主主義」に対する立場。民主主義って、不完全で、欠点だらけのシステムですよ。けど、現状でそれ以上のものが見当たらないから、当面は民主主義を支持しています。で、現状で、民主主義を否定するような言論は、ダメダメの民主主義以下にダメですから、あんまり相手にしません。そういう意味では、ゴリゴリの民主主義者かもしれません。
けれど、民主主義そのものはダメなやり方だと思っていますし、将来はそういう枠組みは消滅していくかなと思っています。で、どういう条件で消滅するのかっていうことが、私にとっては重要なんですね。今回はそのあたりを。
ポイントは、民主主義が、国家の概念と対になったものだということです。「国家」っていうのは、かなり恣意的で歴史的な枠組みですよ。ここ、重要です。「国」と「国家」はちがいます。これは基礎ですから、必ず押さえておいてくださいね。英語なら、nationとstateぐらいにちがいます。ちなみに日本語の国家、国と英語のnation、stateが必ずしも対応しているわけではありません。英語でこの2つを組み合わせたnation-stateは「民族国家」で、これまた別の概念です。
で、国家という概念は、新しいんですよ。「日本国」ができたのは、基本的には明治維新です。わずか百数十年前でしかありません。じゃあヨーロッパ列強はもっと昔から国家があったのかといえば、実はフランス革命以後だっていうんですから、日本より数十年長いだけですね。つまり、日本が鎖国のせいで世界から遅れていたというのは実は神話であって、18世紀に独立したアメリカと革命を起こしたフランスをトップにして19世紀に続々と誕生したのが、私たちが現在思っている「国家」なんですね。日本の明治維新は、たとえばイタリアやドイツの統一と同時代的に起こった世界的な国家形成運動の一部だったと理解すべきですよ。あ、これって高校の世界史の教科書にさえ書いてある常識です。
「とんでもない、日本には少なくとも飛鳥時代には統一政府があった」とか、「フランスのルーツはそもそもフランク帝国にさかのぼり」だとか、そういった反論が出てくるのは当然です。意識として、聖徳太子はこの国を「日本」と考えていましたし、江戸時代の庶民も「唐、天竺、南蛮」との対比から「日本」を意識していたのは間違いありません。そうなんですよ。このくにには古くから人々が住んでいますし、それが何らかの政治的な体制をとってきて、その伝統の上に「国家」が築かれたのは間違いないのです。けれど、明治維新以前の「日本」は、「国」であっても「国家」ではありません。ま、用語の定義によってここはいくらでも水掛け論が可能ですけどね。「近代国家」という言い方を使ってもいいでしょう(これはこれでまたややこしい話につながるわけですが)。大雑把にいって、18世紀までの「国」とそれ以後の「国家」は、本質的に異なる存在だということを了解してもらえればいいわけです。
そして、「民主主義」は、「国家」のもとでつくりあげられた制度です。「国家」を動かす手法として、200年からかけてどうにかこうにか「これでいいだろう」と合意されてきた制度です。そういう意味では、なじまないのは日本だけじゃないですよ。民主主義が100%うまくいっている国なんてありません。ある程度うまくいっている国、いまひとつの国、どうもうまくいかない国ぐらいの差はあっても、これで完全というお手本みたいなのはありませんよ。だって、どこの国でもたかだか200年しか身についていないんですから。土着の思想じゃありえないんです、世界のどこに行ったって。
で、そういうふうに考えたら、民主主義の次が見えてきます。現状の国家システムでは、民主主義はベストの解法です。けれど、国家システムなんてたかだか200年です。これは変わります。なくなります。なくなった次に何がくるのかわかりません。世界国家かもしれないし、あるいは政府なんてない世界かもしれないし、ま、その両極端の中間の何かなんだろうと思いますけど、それは現在ここから見えません。見えませんけれど、はっきりしているのは国家がなくなれば民主主義も同時に役目を終えるだろうということです。
現状を正しく見ましょうよ。私たちはいま、200年余り続いた国家の時代の終末近くにいます。次の時代は、まちがいなくやってきます。それを「民主主義の終わりだ」「日本の終わりだ」と絶望するのではなく、民主主義のいいところ、日本の伝統のいいところを残しながら次のシステムにつないでいくことに希望をもちましょうよ。そして、民主主義のひどいところ、日本に受け継がれてきた悪しきものを次に残さないように気をつけながら。
そう、民主主義的なものは、必ずしも国家でなくても存在できるんですよね。たとえば日本には500年以上前に山城の「国一揆」の惣による自治や加賀一向衆の「百姓で持ちたる国」の伝統があるわけで...


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