携帯電話の世界では、i-Phone、アンドロイドなどのスマートフォン流れで日本古来の携帯を「ガラパゴス」と称されていますが、「次にガラパゴスと呼ばれるのは何か?」というのがお題です。
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書籍発売、映画公開、「いいね!」ボタン、ファンページ、雑誌での特集など
Facebook の露出が増えています。
「Facebook は流行すると思いますか?」
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Facebook、いまのところ使ってませんね。嫁さんは使ってます。積極的にそこでソーシャルネットワーキングやってるというんじゃないんですね。ある情報を追っかけてたらその発信元の方がFacebookでいろいろ書いていることがわかって、それを見るためだけにログインしているってことらしいです。それはそれでアリなんでしょう。
妻は、必要性を感じたから使っているわけです。で、私はいまのところ、そういう必要性を感じないんですね。ただ、昨日、ふと思いついてずいぶん前につくったアカウントにログインしてみました。というのは、少し前から「あの人はいったいどうしてるんだろうな」と気になっている知人がいて、連絡先ももう不明になっているし、困ったなあと思っていて、ふと、「Facebookにアカウントもってるかも」と思ったんです。けれど、ダメでした。ついでに何人か古い知り合いを検索してみたんですが、ひとりも出てきません。Friendに登録すべき人が、いまのところ誰も見つからないんですね(嫁さんを登録してもしかたないですし)。FriendがいなければFacebookやっても意味ないんで、結局のところ、現段階では私にとってFacebookの必要性はない、ということになったわけです。
けど、こういう必要性って、一晩でころっと変わりますよ。現に、昨日検索したときに一人でもFacebookじゃなければ見つからない知り合いが見つかったとしたら、たぶん私はその時点からFacebookを必要とするようになったわけです。Facebookの利点として「外国の知人とすぐに繋がれる」というのを誰かがあげてあるのを見ましたが、それはいまのところ国外での普及率が国内より高いから、それが「利点」として目立つんじゃないかと思います。この時代ですからつながりの輪は日本国内に閉ざされるわけじゃないんですけど、逆にだからこそ国境を越えることがそんなに意識されないですよね。それが意識にのぼってくるのは、国内外のギャップがFacebookではまだ大きいことの証拠かもしれません。
で、ガラパゴス現象です。これは、日本と外国の間にギャップが存在することが前提ですよね。というか、そもそもガラパゴス現象ってなんでしょう? 一般的な用法の前に、もともと「ガラパゴス」が進化論でどういう意味をもっているのか、いや、もっとさかのぼって進化論って何を主張してるのかってとこまで戻ってみましょうか。
正統的なダーウィン進化論(といっても何が正当かということでは議論があるわけですが)によれば、進化とは生命の多様化にほかなりません。多様化は、生物があるニッチをみつけ、そのニッチの環境に適応するように自らの形質を変化させ、その変化を遺伝的に固定することによって起こります。ですから、「進化」といったときにこの「適応による変化」の部分だけに注目するのは、実際には正しい視野ではないわけですよ。たとえばティラノサウルスの進化を考えるのであれば、ティラノサウルス・レックスの巨大化していく歴史を見るだけでなく、ティラノサウルス類全体の系統樹やその生育していた環境を同時に捉えなければ意味はないわけですね。
ダーウィンは、ガラパゴス諸島を訪れたときに、まさにその多様化の現場を見たわけです。ガラパゴス諸島は、複雑な地形のおかげで多様な自然環境を備えています。もともとニッチがたくさんあるんですね。そして、大陸と隔離されているため、限られた起源の生物種が多様に分化して、それぞれのニッチを占めるように変化していました。大陸であればほかの種が占めるはずのニッチを、隔離後に新たに進化した種が占めるようになっていたわけです。これこそがダーウィンの進化論のもとになった進化のリアリティだったわけです。
で、これを日本の携帯電話市場のアナロジーにもってきたのは、なかなかの慧眼だと思いますね。日本には、携帯電話を利用する各種ニーズがありました。つまり、多様なニッチが存在したわけです。そして、日本語を扱わねばならないことからくる技術上の問題と閉鎖的な市場慣行という二重の障壁がありました。ということで、世界標準とは異なった独自の多様な携帯電話が花開いたわけです。これがガラパゴス現象でしょう。
つまり、アナロジーを正しく解釈するのであれば、「ガラパゴス化」は、「日本の携帯電話が世界標準から外れていること」や「日本の携帯電話が国内でしか通用せず世界市場で通用しないこと」ではなく、「日本の携帯電話が世界標準とは全く別の形で多様化したこと」を指すのでなければならないわけです。そして、それは数年前までは全く正しかったと思います。
ただ、そういう観点からすると、ガラパゴス現象はもう何年も前に終わってるような気がするんですよね。つまり、一時は各社各ラインナップに実にさまざまな特徴をもった機種があったと思うんですが、ここ数年はそれが比較的似たような機能の数系統に収斂してきていたように感じるわけです。ガラパゴス化が多様化であるのならば、多様化の時代はもうとっくに終わっているんだろうなと思います。「携帯電話なんてどれでも同じ」という状況が既にできあがってしまっていて、そこにスマートフォンがやってきた。だから、スマートフォンに対するものとして「ガラケー」と称するのは、実はちょっと違うんじゃないかなと、これはあくまで進化論的な立場から思うわけです。
で、Facebookです。Facebookは、世界標準に則って、世界的に運営されているサービスですよね。だからこれ自身がガラパゴス化していくとはちょっと考えにくいことです(Yahoo!みたいに日本法人がほぼ完全別運営になるなら別ですが)。ただ、Facebookのようなソーシャルなネットワーク全般に関しては、十分にガラパゴス化していく可能性があるんじゃないかと、そんなふうに思うんですね。
まず、日本は言語の壁によって隔離されています。母国語以外の言葉を使わない集団としては、日本はたぶんアメリカ合衆国、中国に次いで3番目の巨大な人口集団じゃないでしょうかね。アメリカ人の多数派が英語以外の言葉を喋らないのは有名な話ですし、中国人は部分的には流暢な外国語を1つならず2つも3つも習得していたりしますが人口が圧倒的に多いので中国語オンリーの集団も結果的に多くなります。日本人は、やっぱり日本語に安住する人々が大多数で、そういう意味では言語の関わってくる分野ではガラパゴス現象が発生しやすいわけです。そして、ソーシャルな関係性は、言語ともっとも関係の深い分野なんですよね。
多様なニッチも既に存在しています。文化的に決して一枚岩じゃないですからね。いろんなソーシャルなつながりが既に存在しています。それに合わせたサービスを受け入れていく素地が存在するわけです。
実際、現状でもMixiをはじめ、日本独自のニッチをおさえているSNSは強固に存在するわけですね。そして、Facebookのような外来種を含めてさらに多様なサービスが花開いていく可能性は十分にあると思います。それはきっと、正しい意味での「ガラパゴス化」ではないかと、そんなふうに思うんですけど…。


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